辞書によると、常識とは「普通、一般人が持ち、また持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む(広辞苑)」。対義語で非常識、となっている。
つまり、
「常識」=従わなければはいけない
と無意識に感じているのではないか?
そこで視点を変えて、
「常識」=手段
として考えてはいかがでろうか?「手段の目的化」になりがちな日本人でさえ、「常識」は目的を達成するための一つと理解できないか?
自然科学は、自然の真理とは何かを探究する学問である。自然科学の一般的な法則定立的なアプローチは、本ブログの分野である社会科学においては大きな困難にぶち当たる。そこで、特定の時代と空間に限定された範囲の中でのみ通用する理論を構築することを目指すという発想が生まれてくる。このような理論を、「中範囲の理論(theory of middle-range)」や「限定的一般化(limited generalization)」と呼ばれる。
社会科学において目指すべきものは「中範囲の理論」なのではないかという視点である。私も同じ意見である。
つまり、「ドラッカーの理論は古い!」と大理論の部分で否定するのではなく、〇〇で限定された範囲での理論(=中範囲の理論)と解釈をするべきなのである。
「新たな常識を創る世界」へようこそ
参考文献
R・K・マートン著、森東吾他訳
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